そこつながや
行き倒れは熊五郎だ、と八五郎。生きている本人まで、その話を信じ込む。
浅草観音の人だかり。役人と行き倒れ。長屋では、生きている熊五郎が戸を開ける。
八五郎が言い張るたび、熊五郎の返事が少しずつ弱くなるところ。
生きている熊五郎が目の前の死体を自分だと信じたため、『死んでいる自分』と『抱いている自分』のどちらが自分か分からなくなる。
「この死人は俺に違いねえが、抱いている俺は誰だろう」
細かな人物名や言い回しには演者差があるが、本線は八五郎が行き倒れを熊五郎と決めつけ、生きている熊五郎が自分の死体だと信じる型。